副校長の読書散歩 #55
Selected by安積秀幸副校長先生
前回、戦後70年を記念して
日本で出版された本を紹介しました。
姉妹校であるナザレ校の国、
ポーランドでも第二次世界大戦にかかわる本が出版されていました。
ナチが行った非人道的な行いはいろいろな本で紹介されています。
今回は、ポーランドからナチに拉致され、
ドイツ人家庭で育ち、
再びポーランドの両親のもとへ帰ることができた方の自伝です。
機会があれば、この本についてナザレ校の先生方とも
話をしたいと思っています。
ぼくはナチにさらわれた
アロイズィ・トヴァルデツキ 著(平凡社ライブラリー)
この本を読むきっかけになったのは、
新聞の紹介記事でした。
原題を訳しますと「圧制者の手先の学校」です。
第二次世界大戦中、
ナチは「レーベンスボルン」という秘密組織を作り、
その全権をヒムラー*1に 委任します。
その「レーベンスボルン」によってポーランドから拉致され、
ドイツ人家庭の養子にされた人の自伝です。
訳者の解説にはじまり、指令書、
ドイツ人の友人に宛てた1通目から18通目までの手紙、
資料、訳者あとがきで構成されています。
指令書の項では、ヒムラー等が発した
多くの指令書があげられています。
18通の手紙には、ポーランドから拉致され、
ドイツ人家庭の養子になり、
再びポーランドの両親のもとに帰っていく過程が書かれています。
著者、ドイツでの養父母やポーランドの両親の心の動き、
苦悩が切々と書かれています。
オシフィエンチム(アウシュビッツ)のことが書かれた
12通目の手紙には、長崎に滞在された
マクシミリアン・コルベ神父*2 の話も出てきます。
なぜ、このようなことが起こったのか。
なぜ、このようなことができたのか。
そのことを、皆さん考えてください。
考えても、答えは出ないかもしれません。
私も、答えはわかりません。
しかし、考え続けてください。
ポーランド研修で訪問したアウシュビッツの
日本人ガイドの中谷剛さんの、この言葉を思い出しながら、
本書を読みました。
日本でも、北朝鮮による拉致はまだ解決していません。
早く解決し、ご家族と会えることを願っています。
*1 ハインリヒ・ヒムラー。ドイツの政治家。
ナチス親衛隊「SS」の隊長を務め、ヒトラーの右腕ともいわれた。
*2 ポーランドのカトリック司祭。アウシュビッツ収容所で
餓死刑に選ばれた男性の身代わりとなったことから、
「アウシュビッツの聖者」と呼ばれる。
* 「副校長の読書散歩」とは?