兵庫県播磨高等学校の取り組み「読書の学校」の模様を発信中です。

副校長の読書散歩 #52

「永仁の壺」事件

Selected by 安積秀幸副校長先生


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私の手元に、小山冨士夫さんの、
種子島の土で作られた徳利と小ぶりの湯呑があります。
そのこともあり、小山冨士夫さんの生き方や研究に興味を持っておりました。

とっくり ゆのみ

底の紋 箱書き
*箱の文字は、
 右が「種子島徳利」と書いてあって、これは徳利の名前です。
 左は「花木窯 古山子」。
「花木窯」は小山冨士夫さんの窯(陶芸で焼く工程を行う場所)で、
 小山さんは昭和47年、岐阜県土岐市に花木窯を開きました。
 「古山子」というのは、小山さんが作品を作る時に使われた
 号(創作活動を行う際に、本名とは別に使う名前)です。
 
 小山さんは種子島の土をとくに好んで作陶したそうです。
 種子島の土にはサンゴが混じっており、
 作品にもサンゴの白い粒がみられてなかなか面白い風情です。
 湯呑も、見た目では分かりにくいのですが
 ルーペなどで拡大すると白い粒がよく見えます。

昭和35年8月に、鎌倉時代に作られ、松留窯跡から発見されたという
古瀬戸の「瀬戸飴釉永仁銘瓶子」と言う名の壺が小山冨士夫さん推薦で
重要文化財として指定されました。

しかしこの壺が偽物であるという疑惑が生じ、最終的には昭和35年9月、
加藤唐九郎さんがパリで「自分が作った」と記者会見したことにより
壺の由来も全くの作り話で偽物であることが発覚して
翌年4月に重要文化財指定を取り消しとなりました。
この事件が、有名な「永仁の壺事件」です。

小山冨士夫さんは、陶磁器の研究家として有名であるだけでなく、
陶芸家としても有名で
姫路の山陽百貨店でも「小山冨士夫作陶展」を開催されています。

小山冨士夫さん関係の本は『ものいわぬ壺の話』、
『徳利と酒盃 漁陶紀行 小山冨士夫随筆集』、
岡山県立美術館の図録『特別展 小山冨士夫−陶に生きる−』
の3冊を持っています。

幸運なことに、小山冨士夫さんをご存知の方に
話をお聞きすることができました。
「人として、幅も奥行きもあるすばらしい方でした。」
と教えていただきました。

小山冨士夫さんの人となりの一端がわかる本を紹介します。







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ものいわぬ壺の話
臼井吉見 著(筑摩書房)



この本を読むきっかけは、先に紹介した『戦争よりも本がいい』で
池内紀先生が紹介されていたことです。1976年7月出版です。
「日本の古本屋」で検索して見つけました。

「謹呈の付箋付」と書かれていましたので、
これも1つの楽しみに待っていました。
届いた本の付箋には、著者の名前が青いインクで書かれていました。
ところが、他に数文字がインク消しで消されており、
読み取ることができませんでした。

第52回付箋


近頃の携帯電話のカメラは赤外線を完全にカットしていませんので、
そのカメラを通せば読みにくい字も読める場合があります。
今までも薄くなって読めないような字があると、
携帯電話で写真を撮って読んでおりました。同じように試してみました。

撮影した写真をパソコンに転送し、
コントラストを強めるなど加工してみると
「御教示ありがとうございました」というお礼の言葉と
「狩野近雄様」という名前を読み取ることができました。
『好食一代』等を書かれた狩野近雄氏に
謹呈された本ではないかと思います。

この本は、小山冨士夫さんがかかわった
「永仁の壺」事件を小説にしたものです。
登場人物の東金藤十郎加藤唐九郎さん、
大野文雄は小山冨士夫さんです。

 美術品のねうちを判断するのに、基準というものはない。
 (中略)
 科学的には、カーボン・テストなんて
 炭素の残量による時代判定の方法もある。
 しかし、いずれも補助手段であって、決定は、
 鑑定者の能力、経験から割り出した判断によるしかない。
 勘とも違います。
 勘は主観性が強く、危険が伴います。
 (中略)
 つきつめて行けば、神様だけが知っているということになります。

という大野技官の言葉は、なるほどそうだという思いです。

今、この永仁の壺はどうなっているのか、非常に興味があります。
できれば一度手に取って見てみたいと思います。








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徳利と酒盃 漁陶紀行 小山冨士夫随筆集
小山冨士夫 著(講談社文芸文庫



小山冨士夫さん作の徳利と湯呑が手元にあることから、
タイトルに魅かれて読んでみました。

宋代の定窯の発見は、銃弾の飛び交う中であったこと、
完全な形で残っているものだけでなく
陶片も大切にして研究されていたことなど、
小山冨士夫さんの焼物に対する深い愛情を感じながら読みました。

岡山県立美術館発行の図録には、
この随筆に出てくる陶片や茶碗の写真が紹介されています。


書影3


この随筆集には永仁の壺事件に触れた記述は全くありません。
永仁の壺事件の加藤唐九郎さんの証言で
小山冨士夫さんは文化財保護委員を辞任されますが、
森孝一さんによる「温心寒眼のひと」と題した解説の文に、

 証言の後も、加藤に対する小山の非難めいた発言は
 一切聞いたことがない。
 これを矜持と見るべきか、あるいは加藤を許す気持ちだったのか、
 小山が沈黙し続けた以上、いまとなっては知るすべもない。
 しかし、その後の小山に苦悩がなかったといったら嘘になるだろう。

と書かれています。このことと、
随筆に永仁の壺事件に触れられていないことが、
通じているのではないでしょうか。

「温心寒眼」
つまり、「あたたかい心とつめたい目」が
研究者の心得として必要だと
小山冨士夫さんは言われていたようです。

実物を見、触れることは何事にも大切だと改めて感じました。







* 「副校長の読書散歩」とは?