兵庫県播磨高等学校の取り組み「読書の学校」の模様を発信中です。

副校長の読書散歩 #44

菜の花忌シンポジウムに出席して

Selected by 安積秀幸副校長先生


菜の花TOP




司馬遼太郎が好きだった菜の花にちなんで、
2月12日の命日を「菜の花忌」と言います。

平成27年2月7日にNHK大坂ホールで
菜の花忌シンポジウムが開催されました。

鳥取のYさんから電話をいただき、
「所用で行けなくなった。代わりに行きませんか。」と
お誘いを受けました。
Yさんは以前から司馬遼太郎さんがお好きで、
いろいろと教えていただいています。

司馬遼太郎さんの著作は、第6回で、
『故郷忘じがたく候』『二十一世紀に生きる君たちへ』を紹介しました。
その後、司馬遼太郎さんの作品を読もうと思っていたのですが、
菜の花忌シンポジウムを契機に思い切って長編を読んでみました。







城塞1 城塞29

城塞 (『司馬遼太郎全集』28・29)
司馬遼太郎 著(文藝春秋



この本を読むきっかけは、菜の花忌シンポジウム
「乱世から乱世へ――『城塞』から考える」を聞いたことです。
その時の様子は3月7日にNHKのEテレで放送されました。

古屋和雄さんの司会で、建築家の安藤忠雄さん、作家の伊東潤さん、
大学教授の磯田道史さん、女優の杏さんの
非常に面白く興味深い話を聞くことができました。

大坂城内の「平和ぼけ」についてもかなりの時間の話がありました。
現代の社会状況との比較話もありました。
歴史小説を読んでいる人のほとんどが結末を知っている。」という
伊東潤さんの話が印象に残っています。

この「城塞」は新潮文庫からも3巻に分かれて出版されていますが、
今回は図書館の司馬遼太郎全集で読みました。
第28巻と第29巻の前半にわたって収録されています。
シンポジウムで杏さんが
「正月の3日間で読めると思っていましたが、
先週までかかってしまいました。」
と言われるほどの大作です。

この長編を読んでいると、
徳川幕府300年の基礎を築いた徳川家康
周到なかつ緻密な計画には感心させられます。

大坂冬の陣、夏の陣という2回の戦いにおいて、
かつて豊臣の家臣だった大名の配置や使い方、
将軍徳川秀忠の動かし方、大坂城にたてこもっている大名や
豊臣秀頼を取り巻く女性たちへの働きかけ、
「そこまでやるか」と思うほど徹底しています。

秀頼を取り巻く淀殿をはじめとする女性たちと、
淀殿に逆らわずにうまく立ち回っている武士たち。
真田幸村に代表される豊臣家を大切に思っている武士の考えや策は、
平和ぼけした上層部には受け入れられません。

大坂城を攻める家康軍における、
これからのお家安泰を願う多くの大名の行動も、
これと似たようなものかもしれません。

しかし、人の心を手玉に取り、
作中でも「世間」という言葉を使っていますが、
世の動きを常に気にかけ、
長期の徳川政権を樹立するために
どのようにすればよいかを考えていた家康。
その家康の先を見越した策と実行力に軍配が上がったと感じました。

その過程で方広寺鐘銘事件*も出てきます。
方広寺の大仏は取り壊されてしまいますが、
その大仏に使われていた銅が寛永通宝の鋳造に使われます。
裏に「文」と書かれている寛永通宝
鋳つぶされた方広寺の大仏の銅が使われているそうです。


寛永通宝
▲副校長先生がお持ちの寛永通宝。裏面には「文」の刻印が見てとれる。
 浅草寺近くの西参道商店街にある「すずや」というお店にて購入されたとのこと。


家康に翻弄される多くの人たちの人間模様が非常に面白く、
「自分もその立場に置かれると、
家康に翻弄された人と同じことをしてしまうよなあ。」
と思いながら読みました。



*方広寺鐘銘(しょうめい)事件:
家康が、豊臣氏の討伐を目論み謀略した事件のひとつです。
家康は豊臣秀頼に、東山方広寺大仏殿の再建を勧めて多大な経費をかけさせたうえ、
鐘の銘文「国家安康」「君臣豊楽、子孫殷昌」は、
「国家安康」の句の中に「家康」の名が分断されていることや、
さらに「臣豊」をひっくり返すと「豊臣」となることから、
これを、“家康を安の一字によって切り、豊臣を君として楽しむ”などと解釈し、
徳川を呪詛し、現体制の転覆による
豊臣の世の復活と繁栄を願うものであるとして激怒してみせました。
この弁明のため豊臣氏が派遣した2名の使者に、あえて異なる返答を持ち帰らせ、
結果的に豊臣氏が要求に応じることのない状況を作り出したうえで、幕府への反抗と断定。
これを理由に、大坂城への攻撃を開始したと言われています。





* 「副校長の読書散歩」とは?