兵庫県播磨高等学校の取り組み「読書の学校」の模様を発信中です。

副校長の読書散歩 #36

焼物の師匠から紹介された2冊
Selected by 安積秀幸副校長先生

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第16回で『越前 古窯の人 −水野九右衛門−』を紹介しました。
その時に私の趣味の一つが茶道で、その関係から兵庫県の焼物について
いろいろと教えていただいている師匠のことをお話しました。
師匠はいつも、
「焼物を知るには、その背景となる文化をきちんと理解することが必要だ。」
とおっしゃいます。
文化を知ることは、国際化が進む中で自分の考えをはっきりと表現し、
伝えるためにも大切なことです。
本校が目指す「国際教養人」となるためにも、
私たち自身の国や住んでいる地域の文化、
今日まで日本で培われてきた教養などを学ばねばなりません。
少し難しい本も紹介しますが、是非読んでいただきたいと思います。





利休にたずねよ


利休にたずねよ
山本兼一 著(PHP文芸文庫)



この本は映画化され、表千家の若宗匠と市川海老蔵の対談が
平成25年11月15日の読売新聞に掲載されました。

この本を読むことになったのは、
焼物の師匠と「焦がし」の話をした時に紹介されたことでした。

作品のなかで天正15年10月1日(1587年11月1日)に
秀吉が催した北野大茶会において、美濃の一化という茶人が、
秀吉に「(茶は)ございません。焦がしはいかがでございましょう」と
「焦がし」を点てています。「焦がし」とは、
「ただ糯米を煎っただけでなく、乾した蜜柑の皮や山椒、
茴香などをまぜて、ていねいに粉にした。」と書かれています。
この一化を「今日いちばんの冥加はそのほうじゃ」と
手にしていた白い扇を与えて褒めたたえたとあります。

ところで、「焦がし」は、
京都の原了郭で「香煎」という名前で売られており、
黒七味とともに有名な商品です。
この原了郭は、赤穂義士原惣右衛門元辰の息子が創始者と
店の紹介パンフレットには書かれています。

利休の若き日の恋。その時に手に入れたかけがえのない香合を、
秀吉に渡すくらいならと粉々にしてしまいます。
この小説を読んでいますと、利休の美に対する考え方は
若き日の恋に原点があるように感じられます。

秀吉と利休の確執はよく言われますが、
私は茶に対する考え方を互いに認め合っていながら、
その考えが大きく違っていたことにあると思っています。
秀吉の黄金の茶室と利休のわび・さびの世界と
全く違う芸術感を持っていますが、
そのことをお互いが認め合っているからこそ、譲れない。
最後に秀吉は利休に切腹を命じます。
利休に周りの人たちが秀吉に詫びを入れるよう言いますが応じない。
このようなところに二人の確執を感じます。

それにしても、山本兼一さんの訃報をインドネシア研修旅行中に知り、
非常に残念に思っています。







不動


沢庵 不動智神妙録
沢庵宗彭 著/池田 諭 訳(徳間書店



澤庵(沢庵)和尚は、但馬の出石の出身です。
但馬には澤庵の書などがたくさん残っているようです。
私も、澤庵自筆の書の掛軸を一度だけ拝見したことがありますが、
達筆すぎて読むことができませんでした。
この本を読むきっかけは、焼物の師匠が友人から薦められ、
その話をお聞きしてからです。
その時絶版になっていると聞き、インターネットで調べて、
神戸の古本屋さんにあることがわかり、早速出かけて購入してきました。

この本の帯には、
宮本武蔵柳生但馬の師であった沢庵が、
自己を生死の極限に追いつめてつかんだ珠玉の死生観。
繁栄の中の疎外に悩む現代人に主体性確立の道を明示する。」
とあります。

この本には、「不動智神妙録」「玲瓏集」「太阿記」が収められています。
昭和5年2月に巧藝社から刊行された
『沢庵和尚全集』全6巻にも、この3つは収録されています。

『不動智神妙録』は、柳生但馬守にわかりやすいように
剣の道を例に話が進んでいます。
最後の「親がまず身を正せ」では、
「子供の柳生十兵衛の素行がよくないのは
親のあなたの行動が正しくないのに
子供の悪を責めるのは誤りです。」とか、
「各大名からの賄賂も多く、
欲に目がくらんで義を忘れておられるようですが、
とんでもないことです。」とはっきりと苦言を呈しています。
紫衣事件*などでもわかるように、
権力に屈しなかった沢庵だからこそ言えた言葉ではないでしょうか。
帯にあるように「主体性確立の道を明示」されているのでしょうが、
なかなか理解できないところが多い本でした。

*江戸時代に朝廷から徳の高い僧侶に与えられた紫色の法衣や袈裟(けさ)を、
 江戸幕府が取り上げた事件のことです。
 これに反対した沢庵和尚は、流罪になりました。





* 「副校長の読書散歩」とは?