兵庫県播磨高等学校の取り組み「読書の学校」の模様を発信中です。

副校長の読書散歩 #21

論語を味わうための2冊

selected by 安積秀幸副校長先生

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昔から論語についての本は数多く出版されています。
私が論語について読んでみようと思ったきっかけは、
兵庫県立北条高等学校の校門を入ったところに
湯川秀樹先生が書かれた、「學而思」という石碑が立っていることを知って、
当時の校長先生にお願いして拓本を取らせていただいたことです。
豊岡に勤務していた時に一緒の学校にいらっしゃった書道の大家の先生に
拓本の仕方を教えていただきながら、冬の半日をかけて拓本を取りました。

石碑


湯川秀樹先生は皆さんもよく知っておられると思いますが、
日本で初めてノーベル賞を受賞された先生です。
先人は理科系や文科系という区別なく幅広く勉強されており、
そのことが偉業を残されていることにつながっているといつも思っています。
例えば、論語をテキストにして行われるという「素読」*1は
我々はあまり経験していないものですが、
大切な方法ではないかと考えてしまいます。

恩師の米山徹先生から湯川秀樹先生ゆかりの本等も頂戴しておりますので、
また機会を見て紹介をしたいと思っています。


*1素読
文章の意義の理解をさておき、まず文字だけを声に出して読むこと。
明治時代以前、漢文学習の方法として広く行われていたそうです。










論語

論語
金谷治訳注(岩波文庫



拓本を取ってから、通勤電車の中で読もうとこの本を購入しました。
湯川先生の「學而思」は、為政*2第二の五の、
「子曰、學而不思則罔、思而不學則殆」が元だと思います。
これは先生が言われた、
「学んで考えなければ、ものごとははっきりしない。
考えても学ばなければ、独断におちいって危険である。」
という意味だとあります。

校長先生から、東京世田谷区の教育委員会が作成した
教科書(昔の小学生用に作られたもの)をお預かりしていますが、
日本語一・二年用には、
「子曰、學而時習之、不亦説乎。有朋自遠方来、不亦楽乎」
が取り上げてあり、三・四年用にも五・六年用にも
論語は取り上げてあります。
昔の子どもたちの素読を意識した編集になっています。

私より年配の方々にも、論語を勉強しておられる方が大勢いらっしゃいます。
一度全部を読みましたが、今は、
論語にある言葉の意味を調べるときに読んでいます。
一度じっくりと意味をかみしめながら通読しなければと考えています。


*2為政:
論語」を構成する20編のひとつ。









論語の新研究

論語の新研究』
宮崎市定著(岩波書店



著者の宮崎市定先生は、第8回の『謎の七支刀』や『水滸伝』で紹介しました。
論語の新研究」は、恩師米山徹先生と
湯川秀樹先生の「學而思」をお話しした時にお聞きしました。

その時に「ください。」とお願いしましたが、
「一冊しか残っていないので、だめ。」
と言われて諦めて購入を考えていたのです。
ところが、米山先生からいただいた本を置いている本棚に
既に並んでいました。
もう既にいただいていたのです。
その話をすると、笑いながら「そうか。」と言われました。

この本の、「子曰、學而不思則罔、思而不學則殆」の意味は、
「子曰く、教わるばかりで自ら思索しなければ独創がない。
自分で考案するだけで教えを仰ぐことをしなければ大きな陥し穴にはまる。」
であると書かれています。
私は、こちらの解釈の方がわかりやすいと思っています。


* 「副校長の読書散歩」とは?